どうも、ワリオです。
今朝の朝日新聞に、「折々のことば」2000回記念の1ページの記事がありました。
「折々のことば」担当の哲学者・鷲田清一さんと歴史学者・藤原辰史さんの対談です。
藤原さんは、人ではないSiriのことばを取り上げていた2015年8月13日が衝撃的だったようです。
鷲田さんの知人がSiriに「愛とは何か?」と尋ねたら、「愛とは、理解の別名です」と返され、翌日同じ質問をしたら「今日はその話はやめにしましょう」と言われたそうです。
#asaJ_折々のことばバックナンバー#折々のことば
— ASA自由が丘(朝日新聞) (@ASAJiyugaoka) 2015年12月11日
132. ①「愛とは、理解の別名です」②「今日はその話はやめにしましょう」(Siri)
恋してますか?に対して「机から落ちたことはあります」と。ユーモアにも優れてる。 pic.twitter.com/TaouMtPcoc
「愛とは、理解の別名です」ということは 、反対に、「相手を理解しようとする=愛」ということか…
そう思ったとき、ワリオはふと『ヴァンパイア/最期の聖戦』のアダム神父の紹介文を思い出しました。
Distinguishing Features: A pure, understanding benevolent gaze
【翻訳】際立った特徴:純粋で理解のある慈悲深いまなざし
以前にも取り上げたこちらの海外ファンサイトからの引用です。
このサイトには他にもこんなことが書いてあります。
- バックグラウンド:マスタースレイヤーのジャック・クロウは彼をdirt(汚物)のように扱いましたが、彼は彼に非常に忠実であり続けることができました。
- 人格:アダム神父の忍耐とsympathy(同情、思いやり、哀れみ)は、彼がニューメキシコの教会で働く男以上の存在であることを証明しました。
やっぱりアダム神父は愛の人なんだなぁ、なんて考えながら、対談記事を読むうちの母(「折々のことば」ファン)のそばを通りかかると、
「鷲田さんの言うことって、牧師さんと一緒で、心の底に落ちてくる感じ」
と言われてびっくり!まさか牧師という言葉が飛び出すとは!うちキリスト教じゃないのに。